実家の愛猫が死んだ
※写真は20歳頃のさすけ
日々感じたプライベートなことを書き留めたりなんてことはあまりしないのだけど、この件に関しては残しておきたいと思った。
忘れたくないという想いと、同じ境遇の人の少しでも慰みになればと。実際私も同様の境遇の人のブログを幾つも読ませてもらって、心の支えになったと感じたから。
訃報
亡くなる前の晩、母からさすけがご飯食べなくなったとメールで連絡が来た。21歳(人間の歳だと100歳くらいに該当するんだとか)という高齢だし、たまにはそういう日があってもおかしくは無いだろうと、「もう歳だからね〜」なんて返信をしたのだけど、今考えるとわざわざ連絡してくるくらいだから母にはなんとなくわかってたんだろうと思う。
次の日の晩、再び母から連絡をもらったときは、訃報だった。
「さすけに逢いに実家に帰らないとなぁ」とぼんやりと思っていた矢先、もう叶わぬ想いになってしまった。
元々実家にはあまり帰らないし、この時も半年以上実家に帰っていないので、もちろんさすけにも同様に顔を合わせてないので身近に感じていなかったのかな、訃報を受けた瞬間泣き崩れたり、仕事が手につかなくなったりということはなかった。
いや、もう老い先長くないと理解していたからかもしれない。
ただ、メールを見た瞬間になんて表現すればいいのか、頭を殴られたような衝撃は走った。
愛猫との関係
さすけは祖母に飼われていた猫で、祖母が亡くなった際にうちに引き取られた。今から17年前位前だったか、暫くは懐いてはくれなかったように思う。
私もまだ中学生に成り立てくらいで、どうしても小さい頃というのは、猫が嫌がるくらいに触るし、遊びを持ちかけてしまうし、特におばあちゃん子だったさすけにとっては苦痛な瞬間もあったかもしれない。
当時、うちにはさすけと同い歳くらいの猫がいたが、その子と仲が良かったのは幸いで、2匹で家の中を駆け回っていたので元気なのは間違いなかった。
たまに気分の良い時は、私の遊び相手もしてくれたりしたけど、絶対に布団には入って来なかった。
そんなさすけも私も、数年経ち、お互いに歳をとると関係が変わってくる。
久しぶりに実家に帰ればよく甘えてくるようになったし、居間に布団を敷いて寝れば、一緒に寝ることもあった。名前を呼べばたまには返事もするし、寄って来た。暫く会っていなくても忘れられたりはしない。
ただ、一緒に歳をとるといっても、猫のほうが老いるのが早い。目はだんだんと白く濁り、歯もだんだんと抜けていき、最後はほとんど歯が残っていなかった。
それでもよくご飯は食べていたし、よく鳴いていた。んまぁ夜中に大声で鳴きながら徘徊もしてたけどw
火葬
訃報をうけてから実家に帰るまでに、iPhone に保存されている写真や動画を見直したりした。そこには私の記憶通りのさすけがいるだけで、この世に居なくなってしまったなんて実感なんて全くなかった。
ここ数年は、実際に動いているさすけよりも、保存されているデータのほうが馴染みがあるのだから当たり前なのかもしれない。
家族の集まれる時間の関係上、火葬前のさすけに会うことは出来なかったのだけど、姉の Facetime 越しに映してもらった時も(なんか写真に残すことは私と姉の中では憚られたので)、ウルっとは来たけどテレビとかで泣ける話を聞いた時くらいの印象。なんか他人ごとというか、、
そのあと火葬されている間に私は実家に向かうのだけど、抵抗がかなりあった。死を実感してしまうことが怖かった。今このタイミングで会いに行かなければ、実家に帰らないと同じ、想い出のまま消化できるのではないかとも思った。
電車に揺られ向かう間もあまり考えないように努めた。
そして火葬場に着き、久しぶりの家族との再会にも言葉は少なく、火葬場のスタッフの方に火葬が終わり、遺骨を拾う準備ができた旨を伝えられた。
・・・
骨になったさすけを見た時息が詰まった。
今までの想い出が噴出し、死というもの、もうあの鳴き声を聞こえないということを実感した途端、涙か溢れてきた。
もうね手が震えて遺骨を拾うなんてできやしないよ。
さいごに
本当頑張って生きてくれたと思う。
21歳の大往生。そんなさすけ、あっちでは17年ぶりに祖母と一緒になれただろうか。